市原看護専門学校創立50周年によせて 市原看護専門学校創立50周年お祝い申し上げます。 私が准看護師教育に携わったのは、昭和56年の「市原准看護高等専修学校」(当時の校名)の9回生(22名)からでした。 校長は永野祐正先生、教務主任は中西とよ先生でした。教務は中西先生と私の二人。私の「教育とは」「指導とは」……。の出発でした。 学生は午前中、医師会内の委託施設で勤務し、午後に登校。二コマ(一コマ90分)の授業を受け、急ぎ足で委託施設の仕事へと下校していく“勤労学生”でした。眼前の勤労学生は頑張っている。この現実に触発され、専任教員としての覚悟を決めた日が懐かしく思い出されます。 学校では毎日の授業と実習指導。又、学校行事の親睦研修・戴帽式・運動会・修学旅行・事例学習発表会等と学生と共に学び過ごした教育活動に改めて教育の大切さを知る日々でした。学校運営では、実習病院である千葉労災病院・帝京大学附属市原病院・千葉県循環器病センター・市内の病医院等には並々ならぬご助力を頂きました。私の在職中の校長先生でありました永野祐正先生、内田威郎先生・井上雄元先生をはじめ学校運営委員の先生方々、施設の師長方にも熱心に学校に関わって頂きました。厚く御礼申し上げます。 学生は2年間の教育を終え千葉県の准看護師資格試験を受験し、晴れて准看護師として巣立っていきました。 しかし、年々卒業時には准看護師から看護師として学びたいという意欲は強く感じられ、医療の発展と共に看護の質を求めていく学生達・卒業生達が頼もしくもありました。 昭和から平成へと専任教員も増員されて教員と共に長年の夢が叶い、平成7年に進学コースの看護学科が増設されました。校名も「市原看護専門学校」と改称されました。 准看護学科では、看護の基礎となる科目の習得を求め、専任教員と共に「看護技術」を中心にチェックシートの見直しや、カリキュラムの編成に臨んだ事が思い出されます。 50年とは半世紀であり大きな節目です。過去を踏まえ未来に向かって飛躍の時です。 折しも世界中がコロナ禍の中、地域医療に看護のニーズは質・量ともに高まっています。 最後になりましたが、卒業生・教員・学生の皆様の一層の飛躍と学校の発展をお祈り申し上げます。■元副学校長小多田 文子49■
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