市原看護専門学校創立50周年を迎えてー追補版ー
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 市原看護専門学校が開校50年を迎えると聞き、長年にわたり市原市の現場医療を支えてくれている(きた)多くの看護師を生み出してくれたものだと改めて感じております。市原市医師会立ですので、卒業生のほとんどが現場の医療を担って、会員施設の中核として第一線の医療で活躍してくれています。開校当時は准看だけでしたが、当校なくして医師会の看護体制はなかったと言える状況だったと思います。患者さんを大切にし、医師や看護師は一つのチームとして動くという、学校設立に関わってくださった医師会の先輩の先生方の思いはきちんと残っています。(ここ数年で、当校に急激に変わってきた点があるとは感じていますが。) 私も准看の呼吸器疾患の授業を担当することで学校に関わって30年を越えました。間違いや一方的な思い込みもあるとは思いますが、古い話を1〜2とこれからに対する想いを書いてみます。 学校を設立し、自分達が授業や運営に参加し、学生達を育てた当時の医師会の先生方の地域医療に取り組む姿勢は、今思い出してみてもすごいものだったと思います。私がまだ千葉大肺癌研究施設外科で仕事を楽しんでいた頃、夜遅く帰宅しますと、父衡平を囲んで永野祐正、木村泰人、鈴木和夫等の先生方の熱心に話し合っている場面に何度も遭遇しました。お話しを漏れ聞いておりますと、看護婦のことというより家族の一員という感じで話されておりました。そういえば学校設立当時は、東北地方からの集団就職が盛んな頃で、当院でも第1回生5人のうち岩手の人が数人いて、長年働いて当地で結婚して、今でも私の両親の命日などにお線香をあげに訪れてくれたりしております。当院では現在、第2・5・7・8回生が頑張って働いてくれています。そして現在の師長、主任クラスのほとんどは当校の20回生前後の卒業生です。彼女達が患者さんや病院を思う心、看護に取り組む姿勢、医療チームとしての働き等々を後輩達に見せてくれているおかげで、当院の医療は団結して前向きに進んでいて、当校あってのことと感謝しております。しかし後述しますが、ここ数年で当校の学生の高齢化が急にすすみ、現場の学生や卒業生達の教育やチームが一丸になる為に少し問題が出てきそうで、これからの当校のあり方は考える必要があると思っています。 平成になってなぜか県は急に准看不要論を出してきました。その意図するところは現場医療とはかけ離れた発想だったと思います。当時の市原市医師会は、帝京騒動で二つに割れてしまったのを、一つにまとめてくださった内田威郎先生が会長として牽引されておりました。(16年間会長として引っ張ってくれた。)先生は最初、進学コースを作ることには積極的ではありませんでした。しかし県の看護協会(と思う)の偉い人と会談をもったあと、かなりお怒りになり、「准看、准看と馬鹿にするな。」という文章を医師会雑誌に書かれました。「こんな看護婦(対談相手のこと)に導尿などしてほしくない。」や「大卒が増えたら今の正看を旧看と呼ぶのか。」等々の名文には多くの会員達が共感し、快哉を叫んだものです。しかし先生は実際に現場で頑張っている准看達がこのような扱いを受けていることを憂いたのでしょう。進学コース設立に取り組まれ、平成7年に現在の体制になりました。 大きな夢を持って高校を卒業し、准看となり、現場での医療、看護を経験し、進学コースに進み、知識を積み、また現場に戻って看護チームの一員として頑張るというこの制度は、看護師の実際の業務でも気持ちの上でも非常に良想い出とこれから学校運営委員実習施設講師  人体の仕組みとはたらきI 他■医療法人鎗田病院院 長  鎗田  努■16

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